抗うことのできない奇跡
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始まりが後ろめたいタイプの愛は、だいたい冬に始まる。忘年会やクリスマスなどのイベントごと、正月を前に終わらすべき仕事の忙しさなどで恋どころではないはずなのに、始まるべきではない恋は、そんな慌ただしさの隙間をぬっていきなり立ち上がる。恋はいつだって予告なくやってくるせいで、特別な視線を交わしてしまった途端、アタシたちは人を愛してしまうことを辞めることができない。
トッド・ヘインズの「キャロル」は、そうゆうタイプの愛についての物語である。結婚の話も出ているボーイフレンドのいるテレーズと、離婚調停中のキャロル。二人の女は、クリスマスで賑わうデパートの中でふと視線を交わしてしまったせいで、(そうなることが予め決定していたかのように)あっさりと恋に落ちる。お互いがお互いのパートナーや家族の話をする中で、今よりもさらにレズビアンがマイノリティだった1950年代のニューヨークで、二人の女たちの距離はゆっくりと、しかしとても短い時間で確実に縮まってゆく。写真家を目指すテレーズがキャロルに向ける愛に溢れた視線をカメラに託しながら、アタシたちは二人の恋の行方を密やかに見守る。
クリスマスは「楽しく過ごさなければいけない」という奇妙なプレッシャーが世界中に漂っていて、そのプレッシャーゆえに二人の距離はあっという間に縮まってゆく。まるで「楽しく過ごさなければいけない」という世界の呪縛から逃げ出すように、あるいは1950年代のニューヨークからレズビアンであるというマイノリティーゆえ弾き出されてしまったかのように、キャロルとテレーズは二人きりで車に乗り込み、西に向かって逃避行する。女同士でクリスマスに旅に出ることをテレーズはボーイフレンドに責められながら、キャロルは行き先を家族に伝えないまま、二人だけの旅が始まる。
後ろめたいけれど愛に満たされた旅はあまりにも最高だ。罪悪感と目の前の愛する身体で揺れ、震える白昼夢のようである。とりわけ、冬の後ろめたい愛の旅はもっといい。あまりにも寒いせいで、アタシたちは車の外に出て景色を見ようなんていう考えに及ばない。外の世界から遮断されたモワッとした暖かい車の中で、女たちの息遣いに車内は満たされる。そして車を降りて、宿に直行するのだ。閉ざされた車内から、また室内へ。旅の疲れや、いつかこの旅が終わってしまうという事実から少しでも距離を取るために、酒をのみ、そして、眠る。
恋に落ちることはとても面倒くさい。天国のような瞬間と、地獄のような瞬間が交互にやってくる。自分や相手の過去や未来は付きまとうし、どうあがいても愛することをやめることのできない人のことで頭は常にいっぱいになってしまう。それでも、「真実の愛の始まり」はあたかも決定していたかのように、今までに感じたことのない視線を誰かと交わしてしまったが最後、まるで事故のように目の前に訪れてしまう。クリスマスなんて馬鹿馬鹿しい、楽しく過ごさなければいけないなんてプレッシャーも全部しんどい、と頭では思いながら、(クリスマスだからこそ)抗うことのできない奇跡が自分の意思とは裏腹に訪れてしまうかのように。