驚くほど役に立たない
大堀 晃生
付き合っている女の子が彼の母や姉に初めて会った時の、「こんな男のどこが良いの ?」は必ずその母の息子、姉の弟である彼の目の前で発せられる。即座に。それは 全く聞いていて心地の良いものだ。とても幸せな気分になる。自分に家族がいること が誇らしく思える。どんな言われようにも愛が。習慣のような。
開けた戸棚から食器を両手で取り出して、そのまま肘で戸棚を閉める仕草に母親の 生活をみる。覗き見るようにして知る。習慣があるから簡単に閉じられる。ただ、その 直後、貧血で倒れることは習慣ではないから食器が割れてしまう。
アルノー・デプレシャンの『クリスマス・ストーリー』を繰り返し観ている。家族がクリスマ スに集まる話。
家族は繰り返し顔を合わせる中でお互いのイメージを作り上げていく。すごく長い時 間をかけてきたからお互いのイメージはかなり固定されている。性格ではなく、イメー ジ。言葉にできないそれは、多分いつまでも変わらない。僕はこの話の次男のアンリ 、マチュー・アマルリック演じるアンリに憧れる。
時計の刻む「チクタク、チクタク」には「強弱、強弱」の拍子が、そう聞こえるからそう表 現される。だけどここには「原因→結果」のわかりやすい方向へ流される認識がある んじゃないだろうか。生きていることにはそんな拍子はどこにもなく、心臓はチクタク言 わないでドクドクしているだろう。本当は「チクチク」しているだけな時計を「チクタク」す る人間。前へ前へと推し進める拍子の力。
勝手なリズムは拍子でしかないから本当のリズムは習慣にある。
朝4時に生まれた僕。夕方4時まで寝ちゃう姉。姉の息子の睡眠薬とワインに酔いつ ぶれて倒れて上階の部屋まで父親といとこに運ばれ、真夜中12時過ぎにはっと目覚 めて、そのまま窓を開けて雪の降るなか壁伝いに一回まで降りて行くアンリは雪をみ て爽やかになる。屋上の柵を越えて身を乗り出して雨を浴びる僕。
父から姉に向けて読まれるニーチェ『道徳の系譜』のミツバチと鐘の話。ミツバチが蜜 を集めるように知識を貯めていくことを願うだけで、体験を顧みない人間。鐘がなった 後に「今が何時か」と「今、何を体験したのか」と考える我々は知の探求者ではない。
後から前へ、結果から原因へ、原因が結果を含みつつも、原因と結果は違う、違わな いかもしれない。親から子供は生まれるんだけど、子供は親を含んでいる。親は最初 から生まれる子を含んでいる。何れにしても降りては登り、登りつ降りる。窓の外から 降りて即座に家に帰るように動き続ける「役立たず」のアンリ。
僕は時計をしない、家の鍵は閉めない、すぐ会社を休もう。有益な拍子を刻まない。
大堀 晃生
1989年5月7日生まれ。スーパー素人。