トラの敷皮と五重塔が飾られた組長の部屋に、北大路欣也がいる。そこにいるのは無論、回転すしや携帯電話のCMで見るような、余裕と貫禄のある姿ではない。坊主頭に落ち着きのないぎらぎらした目で薄汚いなりをした、二十代のうつくしい欣也である。
味気ないに、彩りを
時計についてこのコラムを書くにあたり、この数日間、時計についてあれやこれやと考 え、思いを馳せてきました。すると、私と時計の間には深い確執があることに気がつきました。
多分そのままでいい
学生時代にちゃんと勉強しておけばよかった。
若い時にもっと遊んでおけばよかった。
あの時やっぱり告白もしくはプロポーズしておけばよかった(しなければよかった)。
あの人に、ああ言ってあげればよかった。
今のわたしに時計はいらない
2019年わたしは「新卒の就活生」だった。
経験したことを思い出してテーマの「時計」を重ね合わせた時に、今のわたしの核に近いような映画を観た。
驚くほど役に立たない
付き合っている女の子が彼の母や姉に初めて会った時の、「こんな男のどこが良いの ?」は必ずその母の息子、姉の弟である彼の目の前で発せられる。即座に。それは 全く聞いていて心地の良いものだ。とても幸せな気分になる。自分に家族がいること が誇らしく思える。どんな言われようにも愛が。習慣のような。
時計と僕のヒーロー
『時計と僕のヒーロー』 朝、目が覚めて時計の針を見ると、7時半をまわっていた。 大学生にとっては1時限目の授業に間に合うか否かギリギリの時間。 僕は急いで準備をして家を飛び出した。 人間は誰しも時間に追われていて、ありふれた日々の大切さを見失いがちになる。 だからこそ、大切なのは「今」を一生懸命に生きることだ。
便利さと魅力。今日も時を刻むだけ
時計、時計と思いを巡らすと、どうしてもかけ時計よりも腕時計について考えてしまう 。
映画の持つ時間、私の持つ時間
映画は「時間」を持つアートである。作品の持つ時間が、映画館の仕事のあり方をある意味規定している。