便利さと魅力。今日も時を刻むだけ
imari.k
時計、時計と思いを巡らすと、どうしてもかけ時計よりも腕時計について考えてしまう 。
最近はスマートウォッチなるものが流行っていて、秒針どころか文字板もない腕時計をよ く見かけるが、どうしてもアレの良さがわからない。
ベッドボードに置いてあったApple Watchを触って、「何でこれ買ったの?」と聞いたら 、「便利だよ」と言われて、それって理由になんの?と思った過去の記憶が蘇った。 確かに時計は社会で生きていくために必要なもので、便利さが優先されるべきなんだろう けど、どうにも私には、便利さを追求して何かを選ぶ気持ちがない。
『南瓜とマヨネーズ』という漫画原作の映画がとても好きだ。主人公のツチダは、せい ちゃんというミュージシャン志望の彼氏と幸せに同棲しながらも、過去の恋愛が忘れられ ずにいる。便利さや今後の実用性よりも、直感や今の気持ちを優先して生きていきたい、 そんなツチダも、たぶんスマートウォッチが好きじゃないと思う。だから、愛しすぎて痛 手を負った過去があるのに、どこか陰の魅力漂うハギオに再度惹きつけられずには居られ ない。ツチダには、安定して、電池がある限りひたすら正確に時を刻んでくれるスマート ウォッチみたいな、緩く淡い幸せをくれるせいちゃんがいるのに、そこから少しずつ気持 ちが離れていく。そしてツチダは、そんなことは起こり得ないと思い切った顔で、「せい ちゃんがふってくれたら、楽なのにな。」と呟くのだ。 だから、ツチダは、ゼンマイ式の腕時計とスマートウォッチの前で、どちらをつけて出 かければいいのか決めきれず、家でぼーっとそれを眺めている。何もできずにいる。
私たちは、時計技師でもない限り、時計を直すことはできない、だから私たちは時計に 対して、いつだって受け身だ。進まなくなった秒針も、早く進みすぎた時針も、修理に出 さないと直らない。壊れるまで付き合って、壊れたらそのまんまなんて腕時計が、私の家 には3個くらいある。スマートウォッチみたいなせいちゃんにも、そうやってそっちから 見捨ててもらえれば楽なんだけど、でもせいちゃんはスマートウォッチだから、そんなわ けにはいかない。 一方で、圧倒的色気と哀愁を放つ、アンティークの腕時計みたいなハギオは、目の前で 秒針と時針を動かしてくれる。だけどツチダのいないところでは何をしているかわからな い。刻んでいる時間が、何かに裏付けられているわけじゃない。いつ壊れるか、いつ見捨 てられるかもわからないから、「ふられたら」なんて怖くて口にもできない。
ベッドボードにApple Watchの男に、電話口で、「結婚するつもりなの?」と聞かれ、「 うーん、結婚はないんじゃないかな」と答えた。「え、結婚しないのに付き合ってるの? いまも?」みたいなことを訊き返された気がする。そういうことじゃないんだよな、と思 いながらも、そういうことを言ってくれる彼に、少し安心した。社会の流れから大きく外 れたくはないけれど、私はいつも少し外れていたい。その少しの程度がどのくらいなのか 、分らせてくれる人を側に置いておきたい。
少し前まで、腕時計を2つ使っていた。Apple Watchと、直感でピタリと嵌まってしまっ たアナログウォッチ。どうしようもなく好きなのはTHE腕時計なアナログウォッチだった けれど、安心と安定のApple Watchがなければ、私が不安で壊れてしまいそうだった。り ゅうずを引いて動きを止めたアナログウォッチを置いて、今はApple Watchで時間を確認 している。いつも正確で、便利で、高価なスマートウォッチ。誰に聞いても良いらしいの はスマートウォッチなんだけど、私は好きになれない。ひたすらに正確な時を刻むスマー トウォッチ、便利だけど面白みがない。何か物足りない。 だから、アナログウォッチに足りない安定を、スマートウォッチに見出せない味のある 魅力を、補い合って1つだった。2つがあってやっと、『あの時間』の『あの時の私』だ 。2つがないと、思い出にもいま現在にもなれない。2つを失わないと、中途半端なまま 、スタートにも戻れないし、きっと他の何にもなれない。1つを選ぶことはできない、2 つを失うか、2つを持っているかしかない。
ツチダはそれに、気づいたんだろうか、失って得られたものなんて、あるんだろうか。 スマートウォッチは、簡単なことじゃ壊れてくれないとタカを括っていたツチダは、1人 になって、2人や3人だった時に得られなかった何かを、何かに、なれたのだろうか。 せいちゃんの歌を聞いているツチダは、映画のラストで夢を叶えているともいえる。手 から離れていったスマートウォッチは、ツチダがいなくても時を刻んで、充電なんかして あげなくても、秒針を刻んで前に進んでいた。誰かにとってのせいちゃんは、スマートウ ォッチじゃなくて味のある腕時計だし、ラストシーンのツチダにはきっと、本当に好きだ った頃の、一番格好いいせいちゃんが見えていた。そんなせいちゃんを見て、ツチダは、 何かが「落ちた」ように笑う。その笑顔には裏がなくて、選択が彼女らにとっての最適解 だったのだと思った。今はなくてもいつか、きっと彼女に問いへの答えは出るだろう。
私は今日も家で、スマートウォッチを左腕につける。スマートウォッチがあんまり気に 入らないから、今日の私も気に入らない。気に入らないけど嫌いなほどじゃない。「私」に とっての最適解なんかいつまで経ってもわからなくて、けど、「出さなきゃいけない答え 」はわかっている。 ここから変わる勇気も変える勇気もなく、スマートウォッチは外せない。中途半端でぬ るい。 そんな私の片腕で、スマートウォッチは音もなく時間を刻む。そういうところが、好き じゃない。
imari.k
東京都出身。東京では大学生。現在は台湾・台北在住。日本語、英語、中国語を話す何 の変哲も無い20代女。@imari.kにて、台北での暮らしを気の向くままに、発信しています 。