絶望的な時代のための映画
上條葉月
2019年8月、引っ越しにまつわる色々で自分の社会的信用のなさに絶望した。身分証やパスポートをなくしていたので再発行しなくちゃいけないとか、フリーランスだから収入証明できなくて審査がうんぬんとか、いろいろ。 そんな中でハーモニー・コリンの『the Beach Bum』に出会って、そんなくだらないことに悩んでいるのがバカみたいだと思った。ほんとうに去年の夏、出会うべきタイミングで現れてくれてよかった映画、ありがとうハーモニー・コリン。こんな、バカバカしいほど生きづらい世界にまともに向き合ったってどうしようもない。自由に生きることは闘いだけれどこんなクソみたいな世界に真っ向からなぐりかかっても仕方ないから、愛する人たち(と猫)、海と詩、そして不自由であっても自由であるかのように生きていける想像力が必要なのだろう。 詩人ムーンドックは娘の結婚式の直後、妻と車に乗っていて交通事故にあう。でもそのシーンでさえ、悲しさとか、やり切れなさとかそういうものを超えてただただ夜のドライブの美しさしか残らない。何にも意味がなくてしょうもない映画。でも 映画でも現実でも、意味とか合理的な感情を超えたものに触れることでしか本当に心は動かない。
2019年の終わりは映画に限らず10年代を振り返るディケイドベスト的なものが世の中にあふれていた。でも2010年に高校3年生だった私にとっては、そもそも今まで見た映画の半分くらいは10年代に出会ったことになるので、何が10年代にリアルタイムで生まれた映画なのかとか正直よく分からない。 (と同時に10年代の映画と並行してみていたところでどうやっても隔たりのある現実の時間みたいなものの寂しさについて考えたのが、梅宮辰夫が亡くなった時。東映やくざ映画を眺めていたらなんだか本当にもうみんないないんだな、みたいなめちゃくちゃ悲しい気持ちになった。大好きな菅原文太も、松方弘樹も高倉健も渡瀬恒彦も、私が彼らの映画を見はじめたころにはまだ生きていた。同じ時代に生きていたスターたちの映画が、この10年のうちに次々と故人たちの映画になってしまった。)とはいえ、話の流れでなんとなく10年代ベストを話す機会がたくさんあってそのたびに後から後からいろんな映画を思い出すけど、トップ3(順不同)は多分変わらなくて、この『the Beach Bum』と、残りの2本は『ホーリーモーターズ』と『プティ・カンカン』、3本は全然似ていないようだけど好きな理由を考えたら全部一緒だった。次のシーンで何が起こってもおかしくない脈絡のなさ、すべてに可能性が開かれているような自由が合って、それでいて1つの映画としてこれよりほかに答えがない(なぜなら正しさとは無関係だから)映画。『the Beach Bum』でドルフィン・ツアーが登場することに意味なんかない。映画を見てる時くらい意味とか答えなんかない方がいい、それがいちばん贅沢なんじゃないかと思う。この年末年始は家でジャン・ローラン祭りを開催していたけど特に『the Nude Vampire』は人生オールタイムベストくらい大好きで(他の映画も大好きな映画がいっぱいある)、多分これも好きな理由はおなじ。
2020年代の終わり、2029年の世界を想像できない。2010年代に多くのSF映画の設定だった未来を私たちは通り越してしまったけど、ブレードランナーもバック・トゥ・ザ・フューチャーも実現しなかった。2026年は『メトロポリス』の舞台だけど、もしかしたら日本の格差社会がひどくなってあんな感じになっているかもとか考えちゃうね。この国の未来のことをまともに考えると絶望する、だからやっぱり『the Beach Bum』みたいな映画が必要だ。こんな社会が続いてもどうにか楽しく生きていくことを考えるしかない。悲惨な状況の中でもそうは思えないほど笑って生きているムーンドックとその仲間たちのように。