言葉のない涙、言葉のいらない映画
住本尚子
明けましても全然めでたくはなかったので、年賀状のように毎年誰に向けてでもない今年の目標なんかも書けないでいた。
書く意味なんかも分からなくなって。
昨年の11月頃から、おととしに撮影した自主映画の編集と、映画の上映に合わせて展示をするための作品作りと、何個も掛け持ちをしている仕事とが重くのしかかってきて、なおかつ身近な人との関係もうまく築けなくて、心も身体もぺしゃんこになった。毎日涙が溢れて、起き上がることもできなくて、電車で息が吸えなくなった。
私が涙を流しながら日々働いたり、作ったりしている意味が分からなくなって、そうすると自分の生きている時間さえも無意味なように感じて、自分自身が薄く、薄くなっていった。
もともとしんどくなると一日中寝てしまうような人間だったので、睡眠にかかわる映画を作った。
タイトルは『ふゆうするさかいめ』。
睡眠が今日と明日のさかいめで、その睡眠が何かを作り出してほしいし、眠る自分を肯定したかったからそんなタイトルにした。
その中で、主演のまりのが言う台詞。
昔から何もできなくて、家族にも何にもしてあげられなくて
それでも、寝て、起きて、仕事に行くことはできる。それでいいのか分からないけど。
その時、起きて仕事にも行けなくなっていた私には、この台詞は自分をも苦しめてしまうようだったけど、自分にはずっと何もできないと昔から思っていて、そのくせ負けず嫌いなので、自分に足りないものを埋めるのに必死で生きていたのが、もう出来なくなってしまったよ...と身体に言われているようだった。
だからわたしは、そんな心の悲鳴が聞こえるような、声にはならない気持ちで充満している映画が好きだ!わたしが上手く言葉や態度で示せない心の言葉。辛いとか、悲しいとか、腹が立つとか。言葉でうまく言えないもの。心のままの映画。
『風たちの午後』が、昨年のわたしの心だった。
部屋でシャボン玉をしている夏子のシーンから始まるこの映画に漂う、ここにずっといられたらいいのになぁと思う願望の充満。声や台詞や出来事を追うのではなくて、一緒に吸い込む時間。物事を外からどんどん囲って、輪郭を作るように言葉を私は使うのだけど(だって、言葉ってすごく力が強いし、とても鋭利で、傷つけやすいでしょう?)そんな必要もなくて、ただ一緒にこの映画と時間を共にできればいいという安心感があった。
心があると、私は安心できるのだと思う。だから、心にもない言葉に怯えたり、不用意な言葉に敏感で、聞こえたくもない言葉を自分に害のないように変換していく作業が、辛くて苦しくて、たまらなくなる。本当はもっと鈍感になって、聞こえなければいいのにとさえ思う。そう、この映画の台詞は囁いていて、ほとんど聞こえない。そんなわたしの願望さえも、現してくれている気がした。
今年の初めには『黒い眼のオペラ』を観た。
DVDを持っているのにずっと観ていなくて、私の映画を観た友達から『黒い眼のオペラ』を観たりしたの?と言われたのもあって、観ようと思った。(3人並んで寝ているシーンがあって、この映画を観ていたら私は、映画を作っていなかったかもしれないってくらい美しい!)やっぱり好きだった。
この映画には、マットレスが登場する。手で運ばれるマットレスのシーンは、本当に好き。無機質なものがただ運ばれていくのを眺めるのって心地よい。私の映画にも布団が出てくるし、布団を運ぶのだけれど、私の映画はまだまだ心のままにいられていないなぁと思った。
殆ど台詞なんてない映画。この映画に、台詞はいらなかった。少しずつ襲ってくる悲しみが、伝わってくるから。最後まで登場人物たちの関係性は説明されないけれど、それで、本当によかった。分からないことがあって当たり前だもんね。
言葉は分かりやすくなるし、理解もしやすくなるし、なんたって、とっても便利!
でも、少し疲れちゃったなぁ。便利すぎるから、みんな言葉を頼りにしてしまう。
なんか、プラスチックみたい。便利でたくさん使って、捨てるほど使って、海の生き物が食べちゃって、死んでいくみたい。
こうやって文章を書いているのも、なんでなんだろうね。やっぱり使い方だとは思うんだけど。
涙に音はない。言葉もない。
あれは感情の血みたいなもの。とめどないし、そんな簡単に止めることはできない。一度止まったとしてもまたいつ吹き出すか分からない。
この前、地元の友達の赤ちゃんに初めて会ったんだけど、全力で泣いていた。私がすごく嫌いで泣いていたのか、ママが大好きすぎたからだったのか、そんなことは分からないけれど、涙の理由に言葉なんていらないと思った。だって、とっても綺麗な涙だったんだ!本当に、超絶望って感じが最高に美しいんだよ!毎日その涙に対峙しているママやパパは、本当にかっこいいよなぁ。ママやパパも泣くときがあるよね、きっと。わたしはもう大人なんだけど、この前も全力で泣いた。泣くときはみんな一緒なんだろうなぁ。みんな、美しいんだと思う。
今年は子年。
可愛いねずみが描けなかった。泣いているねずみしか描けなかった。涙に込められた思いを、このねずみの思いを、私は説明しないといけないのかな?
そんなことを思ったここ最近。
超絶望!って泣いた後に、めちゃくちゃ笑っていた赤ちゃんの顔を、思い出しながら。