今年のはじめに、小津安二郎監督の『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』を観た。その時に「空がよく見えた。」と言っている人がいた。ほんとうにそうだった! 道と空と子供しかない場面もあって、ずっとずっと遠くまでこの場所が続いているようにさえ感じた。いつしか東京の街は空が建物で削られていき、見ようとしないと空は見えなくなっている。
慌てないでっていってるんでしょ?
もう直接話すことなんてできない、放つ言葉を選んで欲しい。そう思って恋人と手紙のやりとりした。何通かやりとりしたけれど、質問したことに答えてもらえなかったり、返事がもらえない状況になったりと、うまくいかなかった。おそらく、わたしにとって手紙というのは最終手段みたいなところがあって、直接会うよりは相手のことをより深く考えられるような気がしていたんだけど、相手にとっては違ったんだと思う。
どんなに弱ったとしても
めっきり夜が寒くなってきた。
寒いから頻繁に暖房器具に電源を入れるようになったのだけど、大家からは値上げした電気代を節約するように電話があったり(わたしのお家は特殊で電気代が固定なのです)、家賃の値下げの代わりに風俗で働かないかと謎の交渉をしてきたりと、マジで変な電話をしばしばかけてくる。
ホテルに置いてきたの?
不思議なもので、これまでいくつもの小さな旅をしてきただろうに、「旅」と聞いてすぐに頭に浮かんだ場所は、記憶のなかで点在するホテルたちだった。
スーハースーハーする数値
2021年といえば、パルスオキシメーターがお家に届いて、血中酸素濃度が測れるようになった。仕事場では二酸化炭素がどのくらいあるのかを測れる機械もあり、酸素と二酸化炭素が数字で見えるようになった。吸って、吐いてを繰り返している人間の痕跡を数字で確かめていく作業は、少し秘密めいている。あなたたちの残した二酸化炭素を、私は知っているのよ、という気分。
いも時間
「いも」というテーマを思いついてから、「いも」と言うだけで気持ちがほっこりして、何て良い響きなのだろうと惚れ惚れしていた。「い」の後の、「も」のもったりした響きが、恐らく私をにやつかせてる。しかもそれを12月の年終わり、こぞってテーマに祭り上げるところまでが私のささやかな企てで、意外にもピッタリな気がしている。
11/1(日)『ハイファの夜』『バイク泥棒』
TIFFもFILMeXも終わってしまったけれど、ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形 in 東京が始まったり、11/19(木)からは第17回ラテンビート映画祭、11/23(土)からは第21回TAMA NEW WAVE映画祭、12/5(土)からは東京ドキュメンタリー映画祭、12/10(木)からはフランス映画祭も始まります!
10/31(土),11/1(日)『ムクシン』『イエローキャット』『消えゆくものたちの年代記』
映画祭が終わろうとしているのに、絵日記が追いつかないし、眠い。映画祭は、映画を観るという行為以外に、己の体力との戦いが始まる!そして時々負けてしまう!こんなにも楽しみにしていたのになぁ。
10/30(金)第21回TOKYO FILMeXでみた映画
秋ですねぇ。さつまいもや柿がおいしい季節になりました。
そして、東京では、第21回TOKYO FILMeXが始まりました!
今年は第33回東京国際映画祭と同時期に開催ということで、日比谷と有楽町と六本木を往復する日々になりそうです。
まやかしの詰め込まれた箱
わたしは小さい頃、家電量販店にある冷蔵庫のドアを片っ端から開けるのが大好きだった。中にはニセモノの野菜や牛乳が入っていて、それが多く入っていると当たりだな、と思っていたし、紙だけに印刷された野菜やお肉はハズレだった。
呼吸の波紋
興奮した時、脈拍が上がり、心拍数が上昇していく。そしてこの鼓動が誰にも聞こえなくて、自分自身にしか聞こえないこと、それがとても怖い。興奮という喜びにも悲しみにも近しい感情が、自分にはコントロール出来ない未知数な場所にあるから、わたしはまだ手探りにその感情と向き合うしかないのだ。
親愛なる映画館へ
自粛していたのもあって、もう会えなくなって1ヶ月以上も経ちました。すごく寂しい。少しずつ暗くなる館内で、予告を観て、次第に心も焦点がスクリーンへと定まっていき、いつしか映画館にいることさえ忘れてしまうぐらい没頭して迷子になって、明るくなった頃にはどう言葉にして良いかもわからない感情が頭上にふわふわと浮いていて、その気持ちを掴みながら最後はウィスキーとともに身体に流し込んでいく。
そういえば、あるんだった
そういえば、海ってあるんだっけ?自粛で家に篭り続けていると、忘れがちなことが沢山あって、海がこの同じ世界にあることなんて頭からすっこりと抜け落ちていた。
言葉のない涙、言葉のいらない映画
明けましても全然めでたくはなかったので、年賀状のように毎年誰に向けてでもない今年の目標なんかも書けないでいた。書く意味なんかも分からなくなって。
聴こえない声に、触れる
小さい頃、動物全てがなんとなく苦手だった。何を考えているか分からないし、かわいいと思うことでさえ、何となく上から目線な気もした。そんな態度だと動物に失礼だと思っていたから、ずっと他人行儀に接することしか出来なかった。
Shall we bury a time capsule together?
私が最初にリンクレイター監督の作品を観たのは、『6才のボクが、大人になるまで。』。主人公のメイソン・ジュニアを12年間(6歳から18歳まで)成長とともにフィクションで撮り続けているのだからびっくりする。そしてわたしは、映画を超えたものを、みてしまったんじゃないかと思った。
誰かを想う、瞬間の空間
わたしは今の家に引っ越すときに、ベットを解体しないまま運んでもらったので、とても大変だった。玄関から入れる事が不可能な家なので、お風呂場にある一番大きい窓から運んでもらった。わたしの家は2階で、ベットは宙吊りに。それはとても不思議な光景で、ワクワクしたのを覚えている。そのまま宙に浮いたベットで寝てみたいなぁ、とか、想像したり。
あなたの風景と言葉の物語
ハイウェイというカタカナには本当に馴染みがなくて、馴染みのない言葉はしっくりくるまでに時間がかかる。日本語にすると高速道路になると思うんだけど、そう遠くまで車で出かけることもないから、使うこともほとんど無い。
これからも続く、終わりのあるこの世界で
私の書いた手紙を読んでくれた人から、そのまま話しかけているような文章ですね、と言われた事がある。何となく気恥ずかしかったけど、そんな文章になったのは多分、私が学生時代にひたすら日記を書いていたからだ、と思う。友達にも家族にも、悩みを打ち明けることが出来なくて、そもそも人に相談をする事が極端に苦手で、学生時代、とりわけ高校生と大学生の時、ひたすら日記に日々の思いを話しかけるみたいに書いていたから。
心の声怪物 VS 頑固な口元
休憩したい、休憩したい、休憩したい。最近の心の中の口癖に、ふと耳を傾ける。その声は小さくて、ちゃんと聞こうとしないと聞き取れない。自分の声を、自分の声だからと思って、よく無視してしまう。すると、急に身体が動かなくなって、この日にやろうとしていた事が全く手につかなくて、一日中布団から出られず、1日の始まりも終わりもこの世からなくなったみたいに、今、自分がどこで生きているのか見失ってしまう。