ホテルに置いてきたの?
住本尚子
不思議なもので、これまでいくつもの小さな旅をしてきただろうに、「旅」と聞いてすぐに頭に浮かんだ場所は、記憶のなかで点在するホテルたちだった。
ここ2~3年は、自分の映画の上映のためや気になる場所へ、このご時世なのでひそやかに遠出をした。誰かに会うことは気軽にできないから、主には国内の公園や博物館、映画館、アートを見に行き、結局は東京にいるときと同じようなことをしているなぁと思いつつ、それでもいつもの日常とは別の空気を吸うために、違う空気があることを忘れないために、ほんの小さな旅でもしていないと気が済まなかった。うん、気が済まなかったんだね。
シャンタル・アケルマン監督の『アンナの出会い』でのアンナは、自分の映画のプロモーションのためにドイツからケルン経由ブリュッセル、パリを旅をする。規模は違えど、ちょっと親近感。アンナはホテル内で一人でいる以外にも、ドイツではその土地の教師と、ブリュッセルでは母親と、パリでは恋人らしき人と一緒に過ごす。でも、よくよく考えたら母親以外とは結局最後まで一緒に過ごさないで、相手に帰ってもらったり、自分から部屋を出ていっている。アンナにとってのホテルの部屋って、まるで旅の途中に停車する駅ぐらいのちょっとした空間で、アケルマン監督が他の映画でも頻繁に描く、自宅で過ごすときの居心地の悪さとはまた違う。アンナは何を考えているかよく分からないし、ひたすら他者の話を聞くことが多くて、つかみどころがない。けれど、唯一彼女が大切そうに話す、ある女性と一晩中ずっとおしゃべりしながらホテルで過ごしたという思い出がある。どこに移動しても、アンナはずっと一つのホテルに大事な記憶を置いたまんまで、身体だけが動いているように見える。旅ってもしかして、時々身体と魂が分裂するためにあるのかな?
アピチャッポン監督の短編『エメラルド』では、時代を超えた人たちの記憶が、廃墟となったホテル内に同居している。透明に近い人がそこにいて、お話をしている中、羽毛なのか魂なのか、白いふわふわとしたものが浮遊していて、この記憶の交錯がとっても美しい。人と人が過ごす空間の入れ替わりの多いホテルでも、記憶だけは一緒に過ごすことができるのかもしれないと思うと、アンナの大切な記憶も、誰かと出会い続ける旅をしているのかなぁなんて思う。
わたしなんて、高崎市のホテルに泊まった時、思いっきりリュックを置いたままチェックアウトしたことに気づき、駅から慌てて部屋に戻った。記憶だけじゃなくって実際に物まで置いていきそうになってしまったんだから、ほんと、困ったもんだ。その時、ちょうど部屋のお掃除をしていたアフリカ系の女性と鉢合わせした。わたしがすみません、荷物を置いたままで出ちゃって、と話すと、気づいてよかったですね、と答えてくれた。もしわたしがリュックを忘れなかったら、彼女には会えなかったんだ、なんて思うと、うっかり忘れものをするのもいいのかもなんて思った。もっといろんな人と出会ってみたいと、その時に思った。たった数分の出来事でも、宿泊客に会う機会も少ないであろうお掃除の方に、もしかしたら遠い故郷から来た方に、出会えたあの瞬間、あの記憶を、わたしは高崎に置いて帰りたくなかった。だから大切に、お家に持って帰ったんだ。