名画座、復活の日
篠崎真紀
「興奮」というテーマには難儀しました。映画のほとんどがなんらかの興奮でできているし、映画館で映画を観ること自体がもう興奮だから。
6月8日、約二ヶ月ぶりに新文芸坐に行って名画座通いが復活した。受付で手首を出して検温し、手に消毒液をスプレーされる。座席は一つおきにテープが巻かれ市松模様状に座るようになっている。館内ではマスク着用のこと。
その日の上映作品はトリュフォー特集の『ピアニストを撃て』だったのだが、開始30分は久々に映画館に来られた感慨と、このSFみたいな状況に自分が酔ってしまい、再見なのも相まって内容はあまり頭に入ってこず、ひたすら映写を浴びた。12日の『夜霧の恋人たち』ではちゃんと映画を楽しめた。デルフィーヌ・セイリグの歯並び最高。名画座にいつもいらっしゃる小西康陽さんの姿もあり、嬉しい。
6月19日にはシネマヴェーラに行った。受付との間に透明ビニールがかかっている。
この日は延期になっていたヒッチコック特集で『ふしだらな女』。アル中夫の話だというので観たが(うちの夫が治療中なので)、それはあまり関係なく、私の好きな「女アウトロー物」だった。美しい妻の不貞を疑った夫が離婚裁判をおこし妻は有罪、衆目に晒される。そして再婚した先でもそのことをスキャンダラスに暴かれるのだ。
私のいう女アウトローとは、なにも悪いことをしていないのに責められ、追われる女のこと。それにより荒んだり、あきらめたり、もっと強くなる場合もあって、成り行きはいろいろ。でも不条理なことだけは確か。女アウトローは美しいか頭がいいか、あるいはその両方。そして正直者。彼女らは勝手に男に惚れられて、それに応えないと憎まれる。応えたら応えたで周りから「売女」とか「泥棒猫」とか言われる。女中が家の主人に襲われたら、責められてクビになるのは女中なのだ。
女アウトローでぱっと思い出すのはフラーの『裸のキッス』。最後に観たのは2016年、ユーロスペースと新文芸坐での2回。主人公ケリーは美しく賢いけれど、娼婦だったという過去がいつまでも追ってくる。子供が「フラグ」になるのを含め女版のヤクザ映画だ。彼女が激昂するシーンは正義の行動というしかない。そしてある激昂の結果ケリーは罪に問われてしまうが、周りの女たちがケリーを慕っていることに感動する。直感でケリーを信じられる彼女たちもまた賢いのだ。よく「女の敵は女」といわれるけど、女は、美しい女も頭のいい女も大好きです。
美しく賢い女が出てくるといえば成瀬巳喜男の映画。成瀬映画のヒロインは苦労が絶えないが、世が世ならあんなダメ男とさっさと別れて自立できる知恵があるので、いつも「もったいない」と思ってしまう。もちろん成瀬はそれを充分わかって撮っている。
ちなみに成瀬の『銀座化粧』の田中絹代と『裸のキッス』のケリーは両者とも詩を好み口ずさむ。女の賢さ(not学歴)は描きにくいから(しかも商売女への偏見もあり)、詩をたしなむのは映画的にわかりやすい表現なのだろう。字も読めて情緒も理解できると。女の美しさは撮影である程度伝わるけれど、賢さの表現に心を砕く監督はどうしても愛してしまう。私にはバーホーベンもそう。
6月21日はラピュタ阿佐ヶ谷へ。新東宝ピンク映画特集で滝田洋二郎の『痴漢電車 下着検札』。密室トリックが妙に精巧なのがおかしかった。ところでポルノ/ピンク映画のからみシーンで性的興奮をおぼえたことがない。すべては「振り付け」に見える。からみシーンが不要と言っているわけではない。ポルノ映画はもともと男性のためのものだったし明確な「用途」もあったから、当然といえば当然だ。女とポルノ映画(館)については昔、長々とブログに書いたことがあるので、よかったら私のサイトで読んでみてください。
6月22日にはTOHOシネマズ新宿で『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』を観て、シネコン通いも再開。また日常的に映画館に行く生活がはじまった。
篠崎真紀
イラストレーター