まやかしの詰め込まれた箱
住本尚子
わたしは小さい頃、家電量販店にある冷蔵庫のドアを片っ端から開けるのが大好きだった。中にはニセモノの野菜や牛乳が入っていて、それが多く入っていると当たりだな、と思っていたし、紙だけに印刷された野菜やお肉はハズレだった。ネギやニンニクや残り物のおかずの匂いのしない、新品としての強い意思を感じる冷蔵庫の匂いも、今も思い出せるほど。匂いとともに、自然と夢中になって冷蔵庫を開けまくっていた自分を思い出してしまう。
大林宣彦監督の『異人たちとの夏』に出てくる主人公の原田は、妻と離婚し、マンションで一人暮らしをしている。そこにある冷蔵庫はとっても大きい。別にその冷蔵庫の描写の強い映画じゃないのだけど、一人暮らしでそんなに大きい冷蔵庫は必要ない気がした。それは原田の背丈よりも高かった。ある日、原田は昔亡くした両親にたまたま出会い、家に招待される。そこは原田が小さい頃に暮らしていた場所で、昔の姿のままの父と母がいるのであった。そしてそこにある冷蔵庫は小さかった。母はその冷蔵庫からビールを取り出す。とても冷えたビール。何度か訪れても、ちゃんと冷えたビールが出てきた。それがなんとも不思議な気持ちになった。
原田はお盆の頃に、ちょうどその昔の両親と再会した。だから、両親はお盆だから帰ってきていたんだと思う。ということは、冷蔵庫も幽霊なのでは?冷蔵庫の幽霊も、お盆で帰ってきたんだ、きっと。それでもちゃんと冷やすことは忘れていなかったんだね。
小さい頃の好きだった家電量販店の冷蔵庫たちは、まだ一度も冷蔵庫として何も冷やした事がなくて、いつか冷やすであろう野菜のニセモノを、ずっと黙って抱えていたのかと思うと居たたまれなくなる。冷やしたいだろうに。もしかしたら、どこかの家に届く時に、やっと電気が通った時、やっと冷蔵庫としての機能を果たし始められる事に喜びを見出すのかもしれない。引っ越しをするたびに、私は今の冷蔵庫の中身を空にして、電源を抜いた。その度に、少し悲しい気持ちになるのは、どこか冷蔵庫の役割を奪っている気がしたからなのかな。
原田は同じマンションに住む女性とも不思議な恋愛をする。最後はちょっと怖い目に遭うけれど、その女性も幽霊だった。でもこの映画に出てくる幽霊は、透明だったりしない。ちゃんと触れることができるから、本当に生きてるみたいに見えて、同じ時を一緒に過ごせているような感覚にさせてくれる。でも実は一緒に生きていなかった。まやかしに過ぎなかった原田のひと夏。まやかしは楽しい。
ニセモノは美しい。冷蔵庫に本物の野菜が入っていたとしても、わたしは全然ときめかない。それっぽく佇んでいるニセモノの野菜だったから嬉しかった。原田の飲んでいたあの冷えたビールもニセモノだったのかな?
絶対に飲めないはずのビール。その響きだけでもワクワクしそうだ。だから私は自分の冷蔵庫がちゃんと食べ物を冷やしている事に無関心で、中にある野菜を腐らせたり、ビールがある事を忘れてまた買い足す。