どんなに弱ったとしても
住本尚子
めっきり夜が寒くなってきた。
寒いから頻繁に暖房器具に電源を入れるようになったのだけど、大家からは値上げした電気代を節約するように電話があったり(わたしのお家は特殊で電気代が固定なのです)、家賃の値下げの代わりに風俗で働かないかと謎の交渉をしてきたりと、マジで変な電話をしばしばかけてくる。私の家のドアの前にはもう一つドアがあり、そこのドアノブは毎回気をつけて回さないと壊れて落っこちるし、直してもらいたくてもヘンテコ大家と話す気にはなれない。いっそもうここから逃れたいと思いつつ、引っ越し費用も労力も持ち合わせていないので、ただこのおかしな建物で暮らすことを前向きに捉えようとしている。本当はどこか違う場所で、家賃に縛られない生き方をしたいと思う。でも今の私にはそんな勇気は湧いてこない。
『冬の旅』のモナは寒そうだ。
寒い中でキャンプをしている理由は、あまり人に会わないで済むから、らしい。いや、でも、フランスパンがカチコチになって食べられないくらいに寒いんだから、もうほんと心配。モナは誰かに雇われたりすることはもう嫌だと決意して、たびたび彼女に仕事を持ちかける人々の誘いを断る。彼女は自由に、そして楽に生きるために、過酷な気温と状況で生きようと決めたみたいだ。わたしのように変な大家には関わらなくても良いかもしれないけれど、危険はつきまとう。出会う人がみんな必ずしも良い人とは限らないし、自由という名を振りかざして、モナだって親切な人を傷つけるかもしれない。自由って一体なんなんだろうかと考える。モナを怠けているという人もいた。でもあんな寒い中でキャンプする人が怠けているとは思えない。けれど、彼女の決意とは裏腹に、彼女は自分が自覚していない弱みに付け込まれていく。見ていて悔しかった。彼女の思い描く自由は、こういうことじゃないってことだけは分かる。
『ザリガニの鳴くところ』のカイアは差別されていた。
人々から”湿地の娘”と呼ばれ、街に暮らす人たちはカイアのことを知ろうともせずに罵った。湿地帯の豊かな自然に魅了され、彼女は自然から多くのことを学んでいく。鳥の羽をきっかけに、共通点を持つテイトと惹かれ合うものの、湿地から離れようとしないことが理由で離れ離れになってしまう。カイアは家族が次々といなくなってしまい、たとえ1人になろうともこの湿地の家で1人で暮らすことを決意した。もしかしたら、大きな自然とともに生きているカイアを1人で生きていると捉えるのは間違っているかもしれない。けれど、のちのち出会うチェイスという男は、カイアを所有しようとするし、カイアを1人の対等な人間として見ない人が現れるたびに、彼女は人間と関わる必要がないのかもしれないと思ってしまう。
人との出会いは残酷だと思うことがある。
友達や恋人や同僚や家族。人間関係に名前がつくたびに、1つまた縛られてしまう。その名前に幸せを感じられる人もいるだろうけど、モナもカイアも、他人から与えられる人間関係に抗っていた(深層心理は分からないけど)。自分が望んでいないものがはっきりとしていて、自分自身で決断して生きていくという自由を望んでいた。
2人を見ていたら、自由といっても、どこに住むか、どう生きるか、人それぞれだと本当に思う。ただとにかく、2人には守りたいものがある。けれど、その思いが強ければ強いほど、否定されるたびに深く傷ついてしまう。意志の強さが時折自分自身に向けられるとき、どんどん孤独になっていく。
この前、昔の自分のメモを見つけた。そう、わたしはメモ魔である。
「わたしは自由を手にするために働いている」(2020.1.28)
わたしにとっては、働くことが自由らしい。
わたしは昔から気難しい人間だから、周りに馴染むのが難しかった。
家族とも恋人とも一緒に暮らすことができなかった。
それは、わたしも強く自由を望んでいるからだと思う。
誰からも何も指図されず、自分の人生を自分で決めて生きたい。
そのためにはカイアのようなお家がないなら働かなければならないし、
ぐっすり眠ることことが大事なので、モナみたいに冬の旅はできない。
わたしはわたしなりの自由のために生きている。
これからもこの自由のためにわたしはどんどん孤独になるかもしれない。
強い意志がどんどん自分に向けられ傷つくかもしれない。
それでも、抗うだろう。
自分が自分自身として生きることって、じつはものすっっごく難しい。
それでも、抗うだろう。
もしかしたら体力がなくなって弱っていくと、諦めることも増えるかもしれない。
それでも、きっと、抗うだろのだろう。