じゃがいもはすごい
上條葉月
小さい頃、マクドナルドのポテトフライが好きで、週末になるとよく家族で昼ごはんに近所の店で買ってきて食べた。ポテトフライが好きだったのか、ハッピーセットのおもちゃが欲しかっただけなのかは分からないが、三つ子の魂百までというか、成長してもずっと週末のお昼といえばマクドナルドになってしまい、それは高校生でマクドナルドでアルバイトをしている間に油の匂いに耐えられなくなって食べたくなくなるまで続いた。そういえば『星の王子 ニューヨークへ行く』で王子がマクドナルドの偽物みたいな店でバイトをしていたけど、掃除とか労働しなきゃいけないことには耐えられても、いいもの食って育ってきた王子には安い油の匂いなんか絶対耐えられないだろうと思った。
芋が好きなので飯がまずいと散々聞いていたイギリスへ行った時もフィッシュ&チップスとピムス(フルーツリキュール)があれば全然いいじゃないのん、などと思った。実際カレーとフィッシュ&チップスとミートパイみたいなものばかり食べたのでそんなもん誰が作っても美味しいということなのかもしらんけど、未だにイギリスの飯がまずいという印象はピンとこない。でもイギリス映画にはパブのシーンがたくさんあって彼らはエールビールを飲んでいたが、フィッシュ&チップスなんて食べてたっけ、よく思い出せない。
芋というといつも世界史で習ったアイルランドのジャガイモ飢饉が頭に浮かぶ。ジャガイモ飢饉がなんだったのかはまったく覚えていないけど、教科書の年表をめくれば世界史上の様々な事件や戦争なんかが載っている中で「ジャガイモかよ!」と思った記憶がある。でも多分世界中でじゃがいもって獲れるのだろうし、世界中の人々の命綱なのだろう。先日朝、キム・ギヨン『高麗葬』を見た。姥捨山の話だが、飢饉のなか水と芋の争いが起こる。芋一袋のために争いが起き、子供が売られ、しまいには殺される。朝っぱらから観ていたらなんだかお腹が空いて「芋が食いてえ」となったので夜は新大久保にカムジャタンを食べに行った。たった一袋の芋のために我が子を売ろうという映画を観た後で久しぶりの贅沢として芋鍋を食べに出かける発想は我ながら無神経というか、そんなわけであんまりじゃがいも飢饉の切実さは私にはイマイチぴんときていない。
芋映画といえばヴァルダの『落穂拾い』なのだけどそれについては偶然、先日IVCから出たブルーレイの解説を書きました。ただハート型のジャガイモを拾って喜んでいるヴァルダも廃棄のじゃがいもを拾って生活する人々の切実な側ではないことは確かで、それでもそういう人たちと映画を作ることの葛藤みたいなものが滲み出ている(だからこそ本人がたくさん登場するのでしょう)と思うから好きだ。
ぱっと思いつかないけれど世界中の映画や小説で、確かに貧しい人々は芋を食べていた。日本の戦争映画だってそうだ。もしかして、ジャガイモってかなり世界どこでも通ずる共通言語なのでは?じゃがいもの描き方ひとつで状況が分かる。ポテトフライを片手に語り合う深夜のダイナーから、雨の降らない不毛な土地でわずかに獲れるジャガイモの奪い合いまで、恋愛も世界平和も飢餓問題も、大きなテーマで壮大に描く必要などなく、じゃがいもひとつで描けるのが映画なのかもしらん。あんな土に汚れた丸っころい食べ物が、何より映画的だったり。