親愛なる映画館へ
住本尚子
自粛していたのもあって、もう会えなくなって1ヶ月以上も経ちました。すごく寂しい。少しずつ暗くなる館内で、予告を観て、次第に心も焦点がスクリーンへと定まっていき、いつしか映画館にいることさえ忘れてしまうぐらい没頭して迷子になって、明るくなった頃にはどう言葉にして良いかもわからない感情が頭上にふわふわと浮いていて、その気持ちを掴みながら最後はウィスキーとともに身体に流し込んでいく。懐かしいなぁ懐かしいなぁ。
覚えていますか?東京という街にはたくさんのその映画館でしか観られない映画というのがあって、シネマライズという、今はもうなくなってしまった映画館だけれども、『ブンミおじさんの森』を上映していましたね。わたしは都会の街があまり好きではないし、人も多いし、けれど映画館の為ならどこへ出かけるのも苦ではなかった。シネマライズは渋谷のPARCO前にあって(今のWWW Xだよね?)それこそオシャレをした人たちの行き交う場所にあって、チケット売り場が確か外にあって。スクリーンを見上げるような感じだったな。友達とその時は観に行ったのだけど、一体わたしは今何を観たんだろう?と思って、放心状態でパンフレットを買いました。いや、買うことさえも忘れてしまったのかも。それからもずっと、『ブンミおじさんの森』はわたしの心の中に留まり続けていて、そこからイメージフォーラムに行ってアピチャッポン監督の特集を観に行ったり、KAATに『フィーバー・ルーム』を観に行きました。わたしが映画館で同じ映画を何度も観るという機会はあまりないけれど、2018年には北千住にあるシネマブルースタジオでもう一度『ブンミおじさんの森』を観に行きました。
留まり続けた、わたしのあれは何だったんだろう?が、今でも形を変えていく。二度目に観に行った時は、またスクリーンで出会えた作品を目の前にして泣いた覚えがあります。そしてちらほらといるお客さんと一緒に、身体全身で(お客さんが少ないと、より映画が自分に浴びせられている気がする)タイの森の中の空気を感じたような気がしました。初めて観た時よりも、大きくその空気を感じて、吸って、吐いた。と思います。そういえば、実際にタイにも行きました。友達とアピチャッポンのゆかりのあるイサーン地方に行ったり(本当に楽しかったね!)、バンコクではBangkok Screening Roomというミニシアターにも行きました。映画館から世界へ、そしてまた映画館へ。わたしはいつしか映画館という場所に惹かれていき、引き寄せられるみたいに、関西へ行くにもフランスへ行くにも、常に映画館を調べて行きました。ベトナムに行った時も、あれはシネコンだったけど、行きましたね。映画も好きだけど、映画館がわたしは大好きで、それはきっと、あれは何だったんだろう?が大きく、育まれるからかもしれないし、むしろ出かけるきっかけが、目的が、欲しかっただけかもしれません。
だから、映画館で働いている時は、とても幸せでした。仕事だから、もちろん辛いことがあるし、悲しいこともある。だけど、朝どんなに辛くても、わたしの大好きな映画館が職場というだけで、遅れそうでも走って出勤できたし、映画館の為にわたしは目覚めていました。映画館で働く人は暇そうな印象があったけれど、全く違って、上映中に行う業務は大量でした。素材のやりとりや掃除、発注、メール、電話対応(迷い人をいかに楽に映画館に到着させるか、耳の遠い人にいかに上映の妨げにならないように時間を伝えるか、などなど)上映ごとに違う物販販売、上映と上映の間に素材をチェックしたり、アナウンスをしたり、ドリンクを作り、ポップを作ったり、レジを締めたり、迷い人を案内したり、展示やトークの準備をしたり。常にどこで何が必要なのかを考えなくてはならず、目まぐるしかったですね。ひとつお伝えしたいのが、SAVE the CINEMAの動きは、文化を守るだけではないということ。こうして、映画を上映するために働いている人の生活を守るという事でもあります。映画館に行った時、誰もスタッフの事なんて考えたこともないかもしれないけど(映画を観ることに集中してしまうから)スーパーのレジの人もそうだし、レストランのホールの人も、配達の人もそう。私たちは目的を達成する場所で働く人が、どんな気持ちで働いているのかとか、実は考えていないんじゃないかと思うし、だからこんなにも支援が後手後手になってしまうんじゃないかと思っています。みんな悲しみや不安を隠しながら働いていたり、見えないところで工夫をしたり自信を持って働いていると思うのです。そんなひとりひとりが集まって場所が作られている。誰かひとりで作るものではないと思えたら、文化だって、そのひとりひとりがいないと成立しないと思います。文化を守るなら、まずそれに関わるあらゆる人を守らないと。
もう私は辞めてしまったけれど、映画館のスタッフは、演出の一部を担っています。勿論、チケットをもぎったり販売したり、直接のやり取りもそうですが、照明、室温、映画自体の音量も、シアターの広さや作りによって変えなければなりませんし、満席の時とまばらな時はまた調整が必要になります。体感することへの演出は、映画館のスタッフが行っているのです。なんとなく知られていない気がするから、とても知ってもらいたくて。あの空間は、人、が作っているのだと。
映画って作られるだけでも奇跡的で、沢山のひとの協力があって出来上がる。だけど、その後にあなたに、私に、届くまでにもいくつもの手を渡っている。配給、宣伝、字幕、素材にする人、配達、そして映画館。今でこそデジタル素材ではありますが、その素材もちゃんと人の手に渡っているのです。そして誰かの心に届くためにバトンを繋いでいたんだということを、ここ最近よりよく感じます。
また映画館に行ける日が来たら、スクリーンを目にしたわたしはまた泣いちゃうんだろうな。大好きなあなたにまた会えたこともだけど、あなたに会うために、また出かけたり、その中で誰かと出会ったり、ご飯を食べたり、わたしが生きていく理由づけをあなたがくれるから。あなたがいたから、今わたしは生きているのかもしれないって程に、引き寄せられてしまう。それは大袈裟だと、また沢山の知らない人と、あなたと笑いあいたい。笑ってほしい。大きな声で、マスクしないで気兼ねなく。
それまで元気でいてね。必ずまた会いに行きます。
自宅の迷子より